佃天台地蔵尊
2021年12月17日
佃天台子育地蔵尊が東京都佃1丁目9番6号に5坪ぐらいの敷地に胴回り4m近いイチョウの大木があります。縁起に1715年から1738年上野寛永寺崇徳院宮法親王が地蔵尊菩薩像を描きとありますから、このイチョウの木もこのころ植えられたのかもしれません。イチョウの木の寿命は、鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が樹齢800年と言われていました。2010年に倒木しました。
首都美化対策のひとつとして「都の木」が制定されることとなり、このときに選ばれたのがイチョウだったのですが、当初は、ケヤキ、イチョウ、ソメイヨシノの3種類の木が選定委員会によって候補に選ばれ、その中から葉書での投票で決められたといいます。合計1万6157票(うち有効は1万6104票)中、イチョウは7919票を獲得。2位のケヤキに2800票近い差をつけて、都の木として制定された。
一般的に大木に成長するイチョウの木は甲州街道に植えられた街路樹のように広い街路、神社の境内に植えられますが、ここ佃の天台子育地蔵尊は1mに満たない路地の中にあります。周囲は住宅です。この地蔵尊の境内に入ると何か巨大なものがありますが、一見してイチョウの木とはわかりません。足元のイチョウの落ち葉を見て初めてこれは巨木かもしれないと判断します。
この地蔵尊も1mに満たない路地の中にありますのでここに地蔵尊があることも解らないかもしれません。
風が強いとき、台風の時、枝が折れれば周囲の民家の屋根を壊します。枝おろしをするのに登っていく隙間もありません。道路からクレーンを使っての作業も可能でしょうが作業費用も大変だと思います。
ですから、私にとっては不思議な光景です。
佃の天台子育地蔵尊は大切にされています。ほかのどの地蔵尊よりも大切にされているようです。
ここにも江戸時代からの江戸っ子の心の伝承があるようです
佃の住吉神社には五世川柳水谷緑風亭の句碑があります。
「和かで かたく持ちたし 人ごころ 」
江戸時代の歴史の中ではぐくまれた日本人の心の在り方が日本の文化、芸術の発達と都市の文化、歴史の根幹になっているのかもしれません。東京が一つのブランドになりさらに銀座、渋谷、新宿、港区、青山などいくつもの地域ブランドが生まれ大きく育っていきます。ここ佃も石川島播磨重工の跡地に作られたタワーマンション群は日本の新たな都市開発、景観造りの草分けです。平成の時代、平成不況と言われながらも、東京の都市景観は一変しましたが、この流れは今後も続き東京のブランド価値は一層大きなものになります。東京に住み東京でビジネスをすることが大切です。遠藤文雄