徳川家康
2023年01月20日
稲本響 Wikipedia
1977年9月10日生
本人仕様の特注ピアノ「Steinway & Sons (New York)」を全国の各コンサート会場やレコーディングスタジオに毎回持ち運ぶという、世界でも稀なスタイルを持つ。
3歳でピアノを始め、5歳でクラリネット奏者である父との共演でステージ・デビュー。
NHKのラジオで稲本響さんのお話を聞く。音楽に疎い私が聞いても面白く、興味深い話でした。
ドイツに留学した彼は、一からピアノのレッスンをさせられたという。ピアノの鍵盤にふたをし、蓋の上を指で押し、曲を弾く訓練をさせられたという、音を聞かずに音楽のメロディをイメージする訓練のようですが、ドイツには歴史的に多くの作曲家を輩出してきました、音楽の歴史は古く、夢医な音楽家もヨーロッパ、ドイツの1000年の歴史の中で生まれるドイツ人の心の文化遺産に育まれたものであり、ドイツの歴史そのものの体現となっています。日本人としての、稲本響が日本人の感性とともに作られる音楽にはまた素晴らしいものがあるようです。どうする家康では200局以上の曲を作曲し、家康の年代ごとにピアノを変えていくという手法も面白いものです。
ピアノも作られた年代によって表現される音質が違うようです。
家康は、75歳で天ぷらを食し腹痛で亡くなったようですが、現代医学からみると、すい臓、胆嚢にできた癌のようです。
徳川家康75歳1542年生、秀吉より5歳若く13年長生きし天下人になった。
前田利家63歳1538年生、豊臣秀吉62歳1537年生ですから秀吉より12年長生きしたようです。
15世紀末にアフリカ大陸南端の喜望峰をまわってインドに到る航路を開拓したヨーロッパは、アフリカ、アジアを植民地にし、国土のせめぎあいと植民地の確保による領土の拡大競争が続き、富の拡大、国力の拡大、文化芸術の振興が続く大いなる希望にあふれた時代でもあり音楽の発展も大変大きなものと思われます。
徳川幕府による天下統一はその鎖国政策により平和な国、穏やかな国都市の文化、芸術が育った国でもあります。
激動の日本の戦国時代は、大航海時代のヨーロッパ支配者と気風が似ているかもしれませんので、ドイツで音楽を学んだ、稲本響のメロディは徳川家康の人生を奏でるメロディを見事に表現できるでしょう。